バイオ・メディカル

遺伝子組換え細胞(神経幹細胞状態と多能性幹細胞状態)

今回は以下の特許を取り上げ、遺伝子組換え細胞を製造する方法をまとめます。

【公開番号】特開2023-39157(P2023-39157A)
【公開日】令和5年3月20日(2023.3.20)
【発明の名称】遺伝子組み換え細胞製造方法、培養方法、遺伝子組み換え細胞、発現ベクター製造方法、及び発現ベクター

発明の背景にある課題

iPS細胞より、神経幹細胞、外胚葉、中胚葉、内胚葉に由来する種々の細胞
種が生成されていた。しかし、多種類の分化誘導物質を組み合わせる必要があり、加えて
1ヶ月を超える長期培養期間が必要なため、煩雑かつ困難であった。
 このため、多能性幹細胞のように多能性をもたせられ、神経幹細胞、外胚葉、中胚葉、
及び内胚葉を簡便に生成することが可能であるような細胞を製造する方法が望まれていた。

本発明の背景にある課題は、家畜の病態モデル細胞や培養肉、生殖細胞を製造することに関連する。

BSE病態モデル細胞の必要性


画像引用元:Wikipedia

牛などの家畜の肉は、ヒトにとって重要な食糧である。病気に罹った牛をヒトが食することがないように品質を管理する必要がある。

牛海綿状脳症(BSE)は、牛の病気の一つである。致死性の神経疾患であり、感染すると脳の組織がスポンジ状になり死亡する。また、罹患牛を食することでヒトにも罹患する。

畜産業に大きな影響を与えるBSEについて、研究を行うことによってBSE関連医薬品を開発するために、BSE病態モデル細胞の製造が求められている。

病態モデル細胞とは

病態モデル細胞は、目的の病態を呈するよう作られる培養細胞であり、病態メカニズムの研究や創薬などに用いられる。

例えば、動物個体から得た細胞を使用する場合、コストや時間が必要となる。また、ヒトの場合、患者個人から採取した細胞を用いて病態を調べることが望ましい一方で、他の因子が影響することによって不均一性が生じる。

病態モデル細胞は、目的とする特徴(病態)を示すように作製された細胞であるため扱いやすい。iPS細胞は、病態モデル細胞としての利用が期待されている。

BSE病態モデル細胞作製における課題

BSE病態モデル細胞を作製するためには、ウシの生体から神経幹細胞を採取することが必要となる。その場合、以下のような課題が生じる。

  • コストがかかる
  • 生理機能に個体差がある
  • 細胞の増殖能が高く、純度の高い神経幹細胞を得るのが困難

以上のような課題から、iPS細胞を分化させた神経幹細胞のBSE病態モデル細胞が必要とされている。

培養肉生産への期待

近年、培養肉の生産技術が注目されている。培養肉には以下のような利点がある。

  • 牛肉などの食肉供給不足を補う
  • 家畜飼料となる穀物の低減
  • メタン排出量の低減

牛の排せつ物から排泄されるメタンガスは、地球温暖化の原因となる。多能性幹細胞を利用して培養肉を生産することによって、上記のような課題を改善することができる。

生殖細胞への期待

家畜のiPS細胞から生成した中胚葉によって、生殖細胞を製造することができる。

優良家畜はいずれ寿命が尽きるが、優良家畜から得たiPS細胞から、恒久的に精子や卵子などの生殖細胞を利用することができる。

iPS細胞から種々の細胞を作製することにおける課題

これまで、iPS細胞を利用して神経幹細胞や外胚葉、中胚葉、内胚葉に由来する様々な細胞が生成されてきたが、1ヶ月を超える長期培養期間を必要とする。

さらに、多種類の分化誘導材を組み合わせる必要があり、目的の細胞を得る工程は煩雑かつ困難である。

課題を解決するための発明

 本発明の遺伝子組み換え細胞製造方法は、OCT4、SOX2、KLF4、c-MYC
、NANOG、LIN28、及びTERTを含む7因子の発現ベクターを動物細胞に導入
し、神経幹細胞状態と、多能性幹細胞、外胚葉、中胚葉、及び内胚葉のいずれかの状態と
に誘導可能な遺伝子組み換え細胞を製造することを特徴とする。

今回の発明は、「神経幹細胞状態」または「多能性幹細胞状態」に簡便にスイッチできる細胞の製造方法に関するものである。

特定の7因子をコードする遺伝子を組み込んだベクターを動物細胞に導入し、特定の添加物を加えた培養液で動物細胞を培養することによって製造する。

「スイッチ」とは

ここでいう「スイッチ」とは、「変換」を意味する。

本発明の遺伝子組換え細胞は、主に神経幹細胞状態となる。その神経幹細胞状態の細胞の培養方法を工夫することで、多能性幹細胞状態に変換、つまりスイッチすることができる。

そして、さらに他の培養方法によって外胚葉、中胚葉、内胚葉を簡便に生成できる。

多能性幹細胞とは

多能性幹細胞(pluripotent stem cell)は、体のあらゆる細胞に分化する能力(多分化能)と、無限に増殖する能力(自己複製能)を持つ細胞である。

多能性幹細胞が分化すると体性幹細胞になる。体性幹細胞は、肝臓、心臓、血液など、体の組織の元になる細胞である。

多能性幹細胞を人工的に作った人工多能性幹細胞が、iPS細胞である。

iPS細胞


画像引用元:京都大学iPS細胞研究所

iPS細胞(induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)は、細胞を培養して人工的に作られた多能性の幹細胞である。

2006年、山中伸弥教授が率いる京都大学の研究グループにより、マウスの皮膚細胞から作られた。

皮膚などに分化した細胞に4種類の遺伝子を組み込み、あらゆる生体組織に成長できる高い分化能と、自己複製能を持った細胞を作る。

再生医療では患者自身の皮膚細胞などを用いることで、移植後の拒絶反応が起こりにくくなる。

多能性幹細胞の培養肉への応用

多能性幹細胞状態にある遺伝子組換え細胞は、培養ステーキ肉、培養レバー、優良牛の精子や卵子など生殖細胞の製造に応用することができる。

また、中胚葉に分化させた場合は骨格筋や脂肪細胞、内胚葉なら肝臓(レバー)、外胚葉なら表皮(皮革)を製造することができる。

神経幹細胞とは

神経幹細胞(neural stem cell)とは、脳や脊髄を構成する神経細胞やグリア細胞に分化する能力を持つ細胞である。

神経細胞は、学習や記憶、本能行動などに関連する細胞であり、その異常によって精神疾患や神経疾患を引き起こす可能性がある。

神経幹細胞のBSE病態モデルへの応用

神経幹細胞状態にある細胞は、神経変性疾患であるBSEの病態モデルに応用することができる。

神経幹細胞を用いることによって、神経細胞の形成や神経細胞とBSEの関連を研究できる。したがって、BSEの治療薬を開発するために有用なものである。

遺伝子組換え細胞の製造工程

ここからは、神経幹細胞状態または多能性幹細胞状態に簡便にスイッチできる遺伝子組換え細胞の製造工程についてまとめる。

  1. DNAの作製
  2. 発現ベクターに導入
  3. 発現ベクターを動物細胞に導入
  4. 遺伝子組換え細胞の培養

①DNAの作製

必要な因子

組換え遺伝子として導入するためのDNA作成に必要な因子(遺伝子)は、以下の7因子である。

  • OCT4
  • SOX2
  • KLF4
  • c-MYC
  • NANOG
  • LIN28
  • TERT

上記のうち、OCT4、SOX2、KLF4、c-MYCの4つは「山中4因子」と呼ばれる。この4因子は、iPS細胞を作製する際に導入する遺伝子であり、山中伸弥教授らが発見した。

NANOG、LIN28は、山中教授らと共にiPS細胞を開発したJames Thomson博士の「トムソン4因子」であるOCT4、SOX2、NANOG、LIN28のうちの2因子である。

これらの遺伝子は、種々の脊椎動物において塩基配列やタンパク質の立体構造に相同性がみられるため、ほ乳類、鳥類、両生類などに由来する6因子を製造してもよい。

TERT

TERT(Telomerase Reverse Transcriptase)は、「テロメアーゼ逆転写酵素」と呼ばれる酵素をコードする遺伝子である。多能性幹細胞の多能性、分化能を保持させるために導入する。

TERTは今回の遺伝子組換え細胞に必須の因子である。

DNA断片の製造

上記の遺伝子を用いてDNA配列を製造する方法としては、一般的な手法を用いることができる。

例えば、これらの因子が発現する細胞からmRNAを抽出し、逆転写によってcDNAを合成してPCR法によってDNA配列を増幅させることができる。

PCR法については以下の記事にまとめている

PCR法を用いたmRNAの定量この記事では、PCR法を用いたmRNAの定量についてまとめる。 mRNAの定量 mRNAとは mRNA(メッセンジャーRN...

②発現ベクターの作製

作成したDNA断片を組み込む発現ベクターとして、市販されているプラスミドベクター、レンチウイルスベクター、レトロウイルスベクターなどを用いることができる。

ベクターのクローニング部位を制限酵素で切断し、各因子の遺伝子配列を導入して連結(ライゲーション)する。

ウイルス由来2AペプチドコードDNA配列を用いた場合、単一のものとしてベクターに組み込み、翻訳される際に個別の因子に分断させることが可能である。

2Aペプチドとは

2Aペプチドは、ウイルスに由来する特殊なアミノ酸配列の一種であり、2Aペプチドが含まれるタンパク質が翻訳される際に「自己切断」するという特徴を持つ。

その結果、2Aペプチドの前後にあるタンパク質は、それぞれ独立したタンパク質として分断される。

このように、一つのmRNAから複数のタンパク質を発現させることをポリシストロニック発現という。

③発現ベクターを動物細胞に導入

用いる動物細胞

今回用いる動物細胞はウシ線維芽細胞であるが、以下のように種々のほ乳類の動物細胞を用いることができる。

  • ウシ、ブタ、ヒツジなどの家畜動物
  • イヌ、ネコなどの伴侶動物
  • マウス、ハムスターなどの実験動物

細胞への発現ベクターの導入

動物細胞への発現ベクターの導入は、一般的な手法を用いることができる。

例として、リポフェクション法、ウイルス感染法、リン酸カルシウム法、電気穿孔(エレクトロポレーション法)などがある。ここではリポフェクション法についてまとめる。

リポフェクション法とは

リポフェクション法は、細胞への遺伝子導入方法として簡便に行うことができる手法である。

負の電荷をもつプラウスミドを正の電荷をもつカチオン性脂質が包み込むことによって、リポプレックスという複合体を形成する。リポプレックスは、負に帯電した細胞膜に融合されることによって細胞内に取り込まれる。

このように、細胞が外部の物質を取り込むことを「エンドサイトーシス(endocytosis)」という。

ウシ線維芽細胞を用いる本特許の例では、発現ベクターとリポフェクション試薬を加えて約6時間保温することによって遺伝子を導入することができる。

④遺伝子組換え細胞の培養

発現ベクターを導入した動物細胞にiPS誘導培養を適用することで、発明の遺伝子組換え細胞を製造することができる。動物細胞が誘導因子などの刺激によって、異なる細胞に分化するように培養する。

誘導培養は、特定のアゴニストや阻害剤を培養液に添加することで行う。

iPS誘導培養

遺伝子組換え細胞を容易に製造するため、iPS誘導培養を行う。

基礎培養液に以下を添加する

  • 白血病阻止因子の受容体アゴニスト(LIF)
  • FGF受容体アゴニスト
  • アクチビン受容体アゴニスト
  • 低分子酵素阻害剤(Wntシグナル阻害剤、GSK阻害剤を含む)
  • Src阻害剤
  • エピジェネティクス消去剤

上記に加えて、栄養剤としてウシ胎仔血清(FCS)を含んだα-MEMなどを用いてもよい。

これらは幹細胞の分化を調整するものである。以下に、いくつか取り上げてまとめる。

白血病阻止因子の受容体アゴニスト(LIF)

白血病阻止因子(Leukemia Inhibitory Factor、LIF)は、幹細胞の分化を阻止する役割を持つ。

白血病阻止因子の受容体アゴニストは、分化を阻止することによって幹細胞の多能性を維持する目的で添加する。

アゴニストとは

アゴニスト(agonist)とは作動剤を意味する。アゴニストが受容体に結合することで、その物質が持つ作用を発現させる。

FGF受容体アゴニスト

FGF(Fibroblast Growth Factor)とは、繊維芽細胞増殖因子と呼ばれるタンパク質であり、細胞や組織の増殖・分化に必要なものである。

FGF受容体アゴニストは繊維芽細胞増殖因子受容体を活性化させる。

Wntシグナル阻害剤

Wntシグナルは細胞の増殖や分化、癌化に関わるシグナルを伝える。Wntシグナル阻害剤は、Wntシグナルを抑制して幹細胞の多能性を維持するために添加される。

目的の細胞に適した培養方法

神経幹細胞状態に保つ方法

遺伝子組換え細胞を神経幹細胞状態に保つために、以下を培養液に添加する。

  • LIF受容体アゴニスト
  • 線維芽細胞増殖因子受容体アゴニスト
  • Wntシグナル阻害剤

多能性幹細胞状態に保つ方法

遺伝子組換え細胞を、神経幹細胞状態から多能性幹細胞状態に保つスイッチ培養方法として、以下を培養液に添加する。

  • LIF受容体アゴニスト
  • アクチビン受容体アゴニスト
  • Wntシグナル阻害剤
  • GSK阻害剤
  • Src阻害剤
  • エピジェネティクス消去剤

上記を添加して培養することにより、iPS細胞と同様の多能性幹細胞状態を保つことができる。

多能性幹細胞、外胚葉、中胚葉、内胚葉を生成する培養

ウシ線維芽細胞の場合、基礎培養液はα-MEMを用い、栄養物としてFCSを添加する。

また、以下により多能性幹細胞状態、外胚葉、中胚葉、内胚葉を簡便に、生成することができる。

  • 低接着性培養皿を用いて37℃で浮遊培養
  • 接着性培養皿を用いて37℃で接着培養

浮遊培養と接着培養

浮遊培養では、培地中で細胞が浮遊した状態で増殖する。接着培養では、細胞が培養容器に付着して増殖する。

一般的に、生体内で存在していた状況に近い方法で培養を行う。

例えば、血液中に存在して血管中を流れている細胞であれば浮遊培養、組織に付着している細胞であれば接着培養を適用する。

まとめ

本発明によって、BSE病態モデル細胞や、培養肉など様々な用途に利用できる多能性幹細胞を製造することが可能となる。 

参照

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